homeHONDA CITY


page: 1 2 3

■ design story

以下は、昭和60年2月28日に(株)保育社より発行された『世界の名車2 HONDA(いのうえ・こ−いち著)』からの抜粋(文章・画像とも)です。掲載を快諾頂きました、いのうえ・こ−いち先生、そして(株)保育社にお礼を申し上げます。(以下原文のまま)


■シティの開発は 1978 年に始まった

ホンダ・シティの開発は 1978 年/昭和 53 年にスタートした。通常ホンダでは、新しいクルマがつくられるたびに、そのためのプロジェクト・チームが組まれる。

”LPL” をトップに、エクステリア、エンジンなどそれぞれのエキスパートたる 10 人ほどの ”PL” とでチームは組織されている。ここで企画から一切が創り出される。

当時 35 歳という若さで抜てきされた渡辺さんを中心に、30 歳前後の ”PL”、さらに 25 歳前後のスタッフまで、シティのプロジェクト・チームは、平均 27 歳という若さに溢れたものであった。まだシティという名前もなく、コードナンバー ”SA7” と呼ばれるクルマには次のようなテーマが与えられた。

時代は、公害時代とでも呼べそうな、クルマにとっては悪夢のような時期、渡辺さんの言葉を借りれば、「メーカーは、いかに目立たなく、ひっそりと商売をしていくか」というような時代であった。その背景に、省資源を考えた原点になるような小型車、具体的に言えば、シビックよりも小さい、ホンダらしいクルマ、を開発するようにとの命が下ったのだ。


ベイシックカーの名のもと、ホンダは 1972 年/昭和 47 年にシビックを送り出したが、しだいに上級移行する傾向があったし、地域の小さなホンダ・ディーラーのためには、より小型で廉価なアイテムが必要であった。

01.jpg「プレッシャーを感じつつのスタートでしたね。最初は、与えられたテーマに従って、シビックを小型にしたようなものを考えました。前後を 100mm ずつ縮めて、スタイリングも、とりたてて主張のあるものではありませんでした。ホンダらしくない、批判があり、当然トップからの OK もでないんですね。結局、少し頭を冷やせっていうことで、3 週間ほどヨーロッパを回る機会が与えられました。ベルギー、オランダ、西ドイツ、フランス・・・と巡って英国でひとつのきっかけがあったんです」

ロンドン郊外のホンダのディーラーで雑談をしていた折のこと、あまりものを誉めない英国人の親父さんが、ミニの良さを説いたのだという。英国・BL のミニは今や一時代以上昔のミニマム・トランスポーターで、もはや技術的に見るべきものはないが、

『 Smaller Outside Bigger Inside(外は小さく、中は大きく)』

のコンセプトをはじめとして、そこに詰め込まれた数々の革新的メカニズムやコンセプトはひとつのエポックであった。

なによりも、ミニの注目すべき点は、クラス意識の激しい英国で女王様からメイドまで、すべての人々に愛され乗られているということにある。


「ミニには何かあるはずだ、と思いましたね。それと、シティはシビックの下に位置するもの、と決め込んでいた階級志向が間違っている、って気がついたんです。シティには、シティ独自のコンセプトが必要だって」

小さいクルマの欠点を補う、つまり不足がちな居住性を改善するために、背を高くすることを、思いついた。背を高くすれば、中の人間は比較的立った状態になり、全長が短くできるばかりか、ボディ全体が球に近くなり、球殻構造になったボディ外板の強度は向上し軽量化につながる。さらに燃料タンクやラゲッジ・スペースなどがかせげるというメリットが生まれる。

02.jpgLPL
渡辺洋男主任研究員(当時)
「だけど、背を高くするというのは、ひとつのタブーだったんですね。空気抵抗が増えるとか不安定感が増すとかいうこともありますが、なによりもカッコ悪くなるんです。エクステリア担当の在間さんとは、10mm 背を高くする、しないで、カンカンガクガクですよ。結局は、タブーを破って、新しい美学を創造しようと言うことで、前向きに考えて・・・」
ボディの高さは、一般からみれば 100mm ほども高い1470mm に決定、こうしてシティの<トールボーイ>思想は誕生したのであった。
page: 1 2 3

home